がーさーの日記

楽しい楽しいやりくり

ジャパニーズ・シー・フード・ピザ

 修士1年生となり早4ヵ月、研究室生活も去年に比べ大分体に馴染んできた。

 去年に比べますます研究室は金がなくなり、テーマがなくなりいよいよ残すのは「ブラック」という形容詞のみである。前まであったブラック「だけれども」〜とかはもうない。ただ単に本当に「ブラック」なだけの研究室となってしまった。この研究室に希望や未来はあるのか。

 研究室の財政情報や論文情報など色々わかり始めて、更に自分の研究室が上述したような状況に置かれると、「では隣の研究室はどうなのか」とか「あの先生の研究室はどうなのか」などが気になってくる。そんなもんは簡単に調べられて、調べると流石東工大と言うだけあってだいたいどこの研究室も金があったり論文がたくさん出てる。

 「となりの芝生は青い」などということわざがある。自分に関する何かよりも他者に関する何かの方がすごく見えるという人間が抱く主観的感想を比喩したものだ。しかし、研究室に関しては主観ではなく客観的な数値で評価できる。金額は多ければ多いほどいいというのに反論する者はいないだろうし、論文の数やインパクトファクターが高い方がいいというのもいわずもがな。

 だからあえてネガティブキャンペーンなどしなくても、研究室を決めようとしている学部生はインターネットを活用しこの手のことを調べ、うちが他よりも劣悪であることを察知し来ないのだ。当たり前だ。そして研究室は人数が少なくなっていき衰退していく。これも当然なのだ。

 論文を書いたり、科研費をとってくるというのは研究室のスタッフ陣が学生に対する最低限の責任である。学生が手を動かし、研究をしている。それに金とアイデアを与え、論文として形にする。このようなビジョンが何も見えない弊研究室は学生が来ないどころか研究室にいる人々の士気までも下げるという結果になってる。

 が、ここではあえて研究室のいいところをあげてみようと思う。自分を鼓舞するというのもあるし、さらに他人事のように上では書いたが学生が来ないと言うのは僕の仕事が増えるというのもある。実際学生にはうちに来て欲しい、無責任だが。

 

四六時中誰か研究室にいる

これはブラック研究室のあるあるで、だいたいの時間だれかしら研究室にいる。ふと実験したくなったり、涼みにいきたいなと思って研究室に行くと誰かしらいる。安心安全だ。特に僕みたく研究室の鍵を紛失した人間にとってはありがたい。

 

論文がでない

上で書いた通り、こんなもん普通デメリットである。自分の実績が論文に出た方が、就職学振など様々な場面で有利に働く。が、個人情報保護の観点から言えば安心安全だ。論文に出てしまうと、世界に名前が出てしまう。しかも、どこの大学のどこの研究室のどこの誰かがわかってしまう。危険だ。うちみたく論文が出ないならそんな危険はない。ではなんのために研究してるんだかって話だが。

 

金がない

これも普通デメリットではある。こんなもんメリットになるのかって話なんだが、まあ無理やり言うとすると、なんか「温室で育てられた花よりも崖などの過酷な環境で育った花の方が美しい」みたいなことが書かれた古典があった気がする。

 

どうか参考にして欲しい。