がーさーの日記

楽しい楽しいやりくり

1リットルのゲロとストリップ劇場

当初、このブログの目的はおこづかい帳だった。が、最近は、こづかい帳をつけることもなく、専ら今日起こった出来事を書く普通のブログとして機能し始めた。勿論、毎日ブログに書くようなことが起こるわけではないので毎日更新するとなると流石にキツいが。

今日はバイトがあった。何度かこのブログでも書いたが、僕は塾講師のバイトをやっている。このバイトというものが正直に言うと非常につらい。バイトの前などは心臓をギュッと握られた感覚になる。そしてバイト終了時には、心臓はその縛りから放されて、なんともいえない解放感を得る。だが、時々その解放感が得られないときがある。心臓をずっと締め付けられてる感覚が残る日がある。

はっきり言って僕は中学生が好きじゃない。特に出来の悪い中学生なら尚更だ。そして、僕の働いてる塾では殆どの場合、中学生を教える。これが僕がバイトの憂鬱に縛られる大きな原因である。特に僕の塾では出来の悪い中学生が多い。

出来が悪い、ここで言う所のこの言葉は単純な勉強できる云々の話ではない。勉強できない上に何か問題を抱えてることを指す。例えば、勉強ができない上に黙り込む中学生。僕が「できたかい?」とか「わかるかい?」と聞いても返事はしないことはおろか、首すら動かさない。(こういう場合は、大抵わかってないのだが)こうした中学生に僕はどういう対応をすれば良いのだろう。自ずと事務的な態度で接してしまう。

しかし、こんなのはまだ生徒としては良い方で、酷い生徒になると勉強ができない上に生意気だったり授業態度が最悪だったりする。ため口なんて当たり前で、挙句の果てには呼び捨てだったり暴言罵倒などしてくることもある。講師である以上、僕にできることはそれに対する注意ぐらいだ、いっそ殴ればスッキリしそうだが、それは不可能である。だからバイトが終わってもストレスが解放されない。僕はこういう生徒が注意したぐらいでこうした態度を直すとはとても思えない。何故ならそれならば15年弱生きてきたどこかで誰かに直されているはずだからだ。だが、直ってない事を見る限り、きっと「言う事を聞かない人間」なんだと思った。実際、そういう生徒は「○○やって」と言っても「面倒」と言って中々やらなかったり、宿題なんてやらないことの方が圧倒的に多い傾向がある。言われたことをやらない人間なのだ。しかし、やらなくて困るのは本人では実はない。言った側なのだ。言った側は、やらせないといけない。だからやらないのを見るとイライラする。ストレスがたまる。なんという理不尽な現状だろうか。更にこうした人間はすぐ自分を肯定する、そして決まって勉強に対してこう言う「こんなの将来使わない」、僕はたまらなくイライラする。だが、面白いことを言うなとも思う。

確かに、勉強なんてできなくても将来職にありつけなくて餓死するなんてことは日本では殆どありえない。中学程度の勉強なんてできなくても職なんていくらでもある。勉強なんて将来使わないようにしようと思えばできる。だが、こういったことを平気で塾に来てまで言う人間は前述したように言う事を聞かないタイプだ。こうした人間はそのまま行くと将来どうだろうか。職にありつけてもその中でどういった位置づけになるのであろうか、そもそもまともな職にありつけるのであろうか。

「こんなの将来使わない」は勉強できない自分を肯定してると同時に実は自分を否定してる。将来を視野に入れてるのならせめて言われたことはやろうとする人間でなければならない。

だが、そんなことを本人たちに言っても無駄なのでただただイライラが僕の中にたまる。そしてバイトが終わってもそれは解放されずにブログに書き殴る、酷いときはストレスで吐いたこともあった。もう疲れた。