がーさーの日記

楽しい楽しいやりくり

タイアード・アンド・オイリー・ヴァージン

 久々に実家へ帰った。と言っても一ヶ月ぶりぐらいだが。

 というより久々に二日以上連続で休んだ気がする。一月は(おそらく)成人の日を休んだのを最後に20日以上連続で研究室に向かった気がする。一月は卒論の実験をやっていたら怒られ、先輩の修論のための実験をしていた。その修論も終わった今、卒論の実験が(何故か)増え、正直休んでる暇は無い。

 が、遂に三連休を丸々休んでしまった。僕の中では少なくとも1日は研究室に行くつもりだった。その計画を破綻させてしまったのは休日の過眠によるものであった。

 起きるのがもう夕方ぐらいなのである。前日徹夜したしてないに関らず、もうその時間にしか起きられない。平日の睡眠が足りて無いのだろうか。これだけ寝ても一週間の疲れは取れることはない。

 さて、日曜は例によって夕方の6時ぐらいに起き、そこから実家に向かった。地元に着く頃には10時ぐらいになっていた。駅前は特に何も変わってなかった。実家から大学に通ってた頃によく使っていた駅にあるコンビニの店員すら変わってなかった。

 家に着くと父親がリビングで寝ていた。相変わらずだった。晩飯を食べながら母親の他愛もない話を聞いた。あの台湾での地震の日、台湾に旅行する予定だった、とか宇野昌磨と小室圭が似てる、だとか。テレビを見ながらほとんど何も考えず会話をしていた。

 しかし、話は段々と家族の話になり、弟が酒で失敗した、とか母親が近々手術する(幸い大したことではないらしいが)だとか。実家に帰ると年をとったことを実感する、家族のエピソードが僕が中学高校だった頃に比べ、ありきたりになってきた。家族が年をとり、いい大人になるとこういった家庭のエピソードはどこの家庭も同じ値に収束する気がする。しかし、「ありきたり」というのは「客観的に聞いて」というのであって、当の家族にとっては一大事になるような内容な気がする。

 まあ何がともあれみんな年をとった。「老人が多いな」と思ったこの地元だったが、いつしか親もその「老人」の仲間入りを果たしつつある。僕も弟が酒で失敗したという話を聞き、自分も年をとったことを認識した。なんとなく物心ついた時から連続であると思われる意識だが、たまにしか会わない人と会うとその連続性の自信を失う。小学校や高校の頃の僕と今の僕は全く別の人間かのように思われる。そんなはずはないからこう人と会うと「年をとった」と認識する。

 なんとなく休日の過眠もそのせいにしてしまいそうだが、今思うとこれは小さい頃から変わってなかった。