がーさーの日記

楽しい楽しいやりくり

ナイフと処女膜

後期が始まり1か月が経った。このブログを更新するのも二か月ぶりか。

更新してない2か月の間にも色々なことがあった、が、ブログに書き起こすほど鮮明に覚えてはいない。それでもしかし、それなりに充実はしていたのでは無いだろうか。

 

今日は木曜日なのですずかけ台キャンパスに行ってきた。今日は、一限から「コース所属説明会」という名目の例の教育改革に関する説明会を受けてきた。

来年からどうやら僕は週に2、3回大岡山へ行って、週に2回すずかけ台に行くことになるらしい。更に我々の年代は「有機化学」といった基礎的な専門科目を3年生以降受けることがないらしい。つまり、例えば有機化学に関して言えば、僕たち、所謂14の人間は、現在「有機化学第二」を受けている。なので来年からは「有機化学第三」を受けようと思うわけであるが、教育改革により「有機化学第三」は二年生の科目になる。そして、時間割的に我々は「有機化学第三」を履修できないようになっている。もっと具体的に言うとベンゼン、ケトンといったものをこれから「有機化学」の授業で学ぶことは恐らく二度と無いというわけだ。

これは有機化学だけではなく、僕が三年生になったら取りたかった科目が殆ど二年生の科目になってしまっていて同様の理由で履修できない。例えば、分子生物学とか生物無機化学とか先生曰く、「パズルを組むように時間割を組むとどうしてもこうなってしまう」らしい。この説明を受けて、どうしても教育改革を行う意味が見いだせなくなる。むしろ、教育放棄にすら感じる。学生から見ても明らかに中枢を担うような科目が殆どまともに取れないのだから。

しかし、何故僕はこんなにも教育改革に不満を感じているのだろう。勿論、上記のことがその理由の一つなのだけれども、それ以前に僕は今までまともに授業を受けていたのだろうか。まともに授業を受けてこなかった人間にとっては上記の事などどうでもいいのではないだろうか。僕は今年度の前期、有機化学の授業を全く聞かずに授業中に勝手に教科書を読んで勝手に勉強を進めていた。今期も結局それをしている。だから結局は、教育改革後もやることは基本的に変わらないのではないだろうか。

 

教育改革に関わらず、最近やけに不満が多くなってる気がする。生活自体は充実しているのに。学校には遅刻せず毎日通い、好きな本を読み、好きな音楽を聴き、好きなものを食べている、たまにゲームだってする。またそれをするだけの金銭的余裕もある。適度に課題があり、バランスが保たれてる。これ以上何を望む必要があるのだろうか。

僕の人生、これ以上望む事は本来は何もない。しかし、それでも尚何かを望み、叶わないと不満が生じる。そして、僕はそういった不満をツイッターやこうしたブログに書きこみ、自分がいかに可哀想な人間かをアピールをし、鬱憤を晴らす。

僕は、なんと惨めでダメ人間なのか。

僕が女性器ときゅうりが嫌いな理由

中学の時、僕は卓球部に所属していた。卓球部といっても卓球をしていた訳ではなく、専らくっちゃべって部活終了の時間を待つといったものだった。

当時の卓球部の顧問は極めて教師らしからぬ人間であった。というのも彼の言動は中学生だった僕たちにとって非常に過激で、とても教師がする話とは思えない話を平気でしていた。その話の一つに「彼が韓国のストリップ劇場に行った」話がある。

彼は同僚と韓国に何かの用で行き、余った時間で韓国のストリップ劇場に行ったらしい。ストリップ劇場と言っても、個室の部屋に女の子がやってくるもので、性風俗に近いものだったらしい。彼の部屋にやってきた女の子は服を脱ぎ、全裸となった。その女の子は全く可愛いわけではない、ハズレだ。しかし、そもそも期待もしてなかったらしくチェンジすることもなかったらしい。服を脱いだ女の子はきゅうりを取り出したという。

彼はそれを見て「お?オナニーショーか?」と思ったらしい。「やれ!やれ!」とチップを投げ込む。

彼女はそのきゅうりを、顧問の予想通り、女性器に突っ込む。しかし、ここからこの顧問の予想を裏切ることになるのだが。

彼女は、女性器に挿したきゅうりを全く手で触らなかったという。つまり手によってきゅうりを動かすことを全くしなかったらしい。これではオナニーではない。ところが全く手では触って無いはずのきゅうりに異変が起こる。

 

なんときゅうりが割れたらしい。きゅうりが一人でに割れるわけがない。ところが彼女はきゅうりを「手」では触って無い。じゃあなぜ割れたか、彼女が唯一きゅうりと触れてる部分、「女性器」だ。なんと彼女は女性器の圧力のみできゅうりを割ったらしい、風俗嬢、ストリッパーというよりはビックリ人間だ。その後も棒状の何かを女性器に挿しては割っていったらしい。

 

顧問は、性の知識があまりなかった中学生の僕たちに、面白おかしく話してた。僕は、その日からきゅうりを見るたびにこの話をトラウマのように思い出す。女性器の恐ろしさを思い出すのであった。

1リットルのゲロとストリップ劇場

当初、このブログの目的はおこづかい帳だった。が、最近は、こづかい帳をつけることもなく、専ら今日起こった出来事を書く普通のブログとして機能し始めた。勿論、毎日ブログに書くようなことが起こるわけではないので毎日更新するとなると流石にキツいが。

今日はバイトがあった。何度かこのブログでも書いたが、僕は塾講師のバイトをやっている。このバイトというものが正直に言うと非常につらい。バイトの前などは心臓をギュッと握られた感覚になる。そしてバイト終了時には、心臓はその縛りから放されて、なんともいえない解放感を得る。だが、時々その解放感が得られないときがある。心臓をずっと締め付けられてる感覚が残る日がある。

はっきり言って僕は中学生が好きじゃない。特に出来の悪い中学生なら尚更だ。そして、僕の働いてる塾では殆どの場合、中学生を教える。これが僕がバイトの憂鬱に縛られる大きな原因である。特に僕の塾では出来の悪い中学生が多い。

出来が悪い、ここで言う所のこの言葉は単純な勉強できる云々の話ではない。勉強できない上に何か問題を抱えてることを指す。例えば、勉強ができない上に黙り込む中学生。僕が「できたかい?」とか「わかるかい?」と聞いても返事はしないことはおろか、首すら動かさない。(こういう場合は、大抵わかってないのだが)こうした中学生に僕はどういう対応をすれば良いのだろう。自ずと事務的な態度で接してしまう。

しかし、こんなのはまだ生徒としては良い方で、酷い生徒になると勉強ができない上に生意気だったり授業態度が最悪だったりする。ため口なんて当たり前で、挙句の果てには呼び捨てだったり暴言罵倒などしてくることもある。講師である以上、僕にできることはそれに対する注意ぐらいだ、いっそ殴ればスッキリしそうだが、それは不可能である。だからバイトが終わってもストレスが解放されない。僕はこういう生徒が注意したぐらいでこうした態度を直すとはとても思えない。何故ならそれならば15年弱生きてきたどこかで誰かに直されているはずだからだ。だが、直ってない事を見る限り、きっと「言う事を聞かない人間」なんだと思った。実際、そういう生徒は「○○やって」と言っても「面倒」と言って中々やらなかったり、宿題なんてやらないことの方が圧倒的に多い傾向がある。言われたことをやらない人間なのだ。しかし、やらなくて困るのは本人では実はない。言った側なのだ。言った側は、やらせないといけない。だからやらないのを見るとイライラする。ストレスがたまる。なんという理不尽な現状だろうか。更にこうした人間はすぐ自分を肯定する、そして決まって勉強に対してこう言う「こんなの将来使わない」、僕はたまらなくイライラする。だが、面白いことを言うなとも思う。

確かに、勉強なんてできなくても将来職にありつけなくて餓死するなんてことは日本では殆どありえない。中学程度の勉強なんてできなくても職なんていくらでもある。勉強なんて将来使わないようにしようと思えばできる。だが、こういったことを平気で塾に来てまで言う人間は前述したように言う事を聞かないタイプだ。こうした人間はそのまま行くと将来どうだろうか。職にありつけてもその中でどういった位置づけになるのであろうか、そもそもまともな職にありつけるのであろうか。

「こんなの将来使わない」は勉強できない自分を肯定してると同時に実は自分を否定してる。将来を視野に入れてるのならせめて言われたことはやろうとする人間でなければならない。

だが、そんなことを本人たちに言っても無駄なのでただただイライラが僕の中にたまる。そしてバイトが終わってもそれは解放されずにブログに書き殴る、酷いときはストレスで吐いたこともあった。もう疲れた。

静脈瘤と中国人

ようやく6月に入り、前期も折り返しとなった。もう半分なのか、まだ半分なのか。

気温の変動が大きく、また気候の変動も大きいこの時期、僕は非常に体調を崩しやすくなる。崩さないまでもただ大学へ行って戻ってくるだけで非常に疲れが溜まる。

授業に新鮮味を感じてた四月に比べ、マンネリ化したこの生活、ただただ毎日がしんどい。こういう時には長期休暇が欲しいものだ。

今日は銀座へ行った。僕の体には至る所に疾患があり、そのうちの一つを治さんとして、今日は銀座の某病院へ行った。その疾患とは、手の震えだった。

疾患というには大げさ過ぎたかもしれない。この手の震えを自覚したのは、高校の時ぐらいだった気がする。日常生活にさほど支障も無かったし、全く気にしていなかった。強いていうなら友達から一々指摘されるのが煩わしかった事ぐらいか。ところが、二年生になって実験の回数が増え始めると遂にこの震えにより支障を起こしてしまった。だから、病院へと向かった。

病院は東銀座から中央通りへと出て新橋方面に歩いて交差点を曲がればすぐのところにあった。今日は、採血をして終りだった。どうやら甲状腺と何か関係があったらしい。採血の結果は金曜日に出るらしいが。

バカ高い金を払って病院を後にし、中央通りを出て、東銀座駅には戻らず、そのまま新橋に向かって歩いた。銀座は何度かしか行ったことがなかったが、おびただしい中国人の数に驚いた。日本人よりも遥かに多いと断言できるほど中国人がいた。中国の休日事情はよく知らないが、とにかく多かった。いつもあんなに多いのか。免税店の前など特に多かった。中国人たちの中には大通りで立ち止まって道をふさいでいる者までいた。僕はとてもうんざりした。

新橋周辺になるとさっきまであんなにいた中国人たちの姿は嘘のように消え、日本人でごった返していた。

新橋には様々な人間がいる。勿論、僕らの新橋と聞いて想像するサラリーマンが多数なのだが。そのサラリーマンにティッシュを配るAKB48の格好をした元気の良い女の子、風俗店の客引き、ホームレスまでいる。とにかくいろいろな種類の人間がそこで働いている。だが、新橋のSL広場にある小屋のような喫煙所には死んだ顔をしたサラリーマンだけであふれていた。僕はとてもうんざりして、帰った。

精子の妖精と化した。

出費等を覚えてない。預金ももう何週間も確認してない。

ただ、無駄遣いもしてない。もうそれでいいだろう。

 

学校が始まって一か月が経つ、月曜火曜が特に疲れる。

教科書の重さにもサークルにもだいぶ慣れてきた、生活スタイルも確立されてきた。

 

そして今日は生化学のテストがあった、結果はダメとも良いとも言い難い。

 

毎日がふんわりと過ぎていく、なんだかいつも不安になる。